遠山昌子はカリカリ梅の赤城フーズ社長。元タカラジェンヌがなぜ?その手腕は?【サタプラ】

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カリカリ梅を世界で初めて販売した赤城フーズ株式会社の社長・遠山昌子(とおやままさこ)さんが「サタデープラス」で紹介されます。

遠山昌子さんは元タカラジェンヌだそうですが、どうして漬物製造の会社の社長をすることになったのでしょうか?そして社長としての手腕も気になるところです。

調べてみると、相当な努力を重ねてこられたようなので、遠山さんのサクセスストーリーを一緒に見てみましょう。

遠山昌子さんは元タカラジェンヌ

遠山昌子さんは、小学5年生の時にテレビで宝塚歌劇団の『ベルサイユのばら』を見て感動し大ファンになりました。

中学3年生の時には宝塚劇場で観劇して「わたしもこの舞台に立ちたい!」と宝塚音楽学校の受験を決意します。

群馬から毎日往復5時間をかけて東京のレッスンに通い、4回目の受験でやっと合格をつかみました。

音楽学校を卒業後に宙組に入団し、初めは42人中32番目だった順位を3年かけて8番目まで上げ、やりたい役をやらせてもらえるようになります。

宝塚時代の遠山昌子さんは遥海おおら(はるみおおら)

宝塚が大好きで、陰日なたなく支える組長(組の最上級生)に憧れ、みんなが安全に良い舞台を見せられるようにまとめる存在になりたかったそうです。

なぜ社長に?

そんな宝塚愛あふれる遠山昌子さんが、なぜ社長になったのでしょうか?

遠山昌子さんの実家が赤城フーズで、おじいさんが会長、お父さんが社長を務めていました。

宝塚で頑張っているときに実家から連絡があり、祖父の持病が悪化しいつ倒れてもおかしくないと知ったそうです。

遠山昌子さんには兄が二人いましたが、いずれも違う道に進んでいました。「わたしが社長を継がなければ会社はなくなるかもしれないと思うと耐えられない」と家業を継ぐ決意をしました。

赤城フーズ工場

決意した後の行動は素早く、5年間の宝塚歌劇団生活に終わりを告げると2週間後には入社していたんだそうです。

行動力がスゴイですね!

社長としての手腕

家業を継ぐために入社した遠山昌子さんですが、すんなりとはいかなかったようです。

宝塚で生きてきた遠山さんにとって、会社に勤務するということは想像以上にギャップが大きく、現実の厳しさを思い知りました。

しかし努力家で前向きな遠山さんは、入社一年目に地元の商工会議所などが実施する簿記ExcelWordPOP作りなどの講座を受講し、翌年には産業能率大学の経営コース(通信教育課程)に入学し経営を学びます。

その後、低塩ブームの中であえて塩分を高めにした『熱中カリカリ梅』は“熱中症対策になる”と大ヒットし、宝塚への愛を込めた『梅ジェンヌ』も好評だそうです。

熱中カリカリ梅


梅ジェンヌ


さらに海外に“カリカリ梅”を広めたいと、自ら海外に赴き売り込みをして販路を広げました。香港では高評価を得ているようです。

「カリカリ梅と宝塚の共通点は、多くの人を笑顔にできること。それに気付いてから、仕事に対する心持ちが変わりました。これからも100年、200年と笑顔を継承できるよう、経営者として土台を作っていきたいです」

まいどなニュース

素敵な社長に成長されたようですね。

まとめ

子供の頃の夢であるタカラジェンヌになるという夢を叶えましたが、実家の都合で家業の梅加工・販売の仕事を継ぐことになり、そのためにたくさんの努力をした遠山昌子さん。

社長になっても努力を積み重ね、ヒット商品を開発したり、海外に販路を広げたりと意欲的に活動されています。

そんな遠山昌子さんが「サタデープラス」ではどんなことを語ってくれるのでしょうか?楽しみですね!

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